2011年3月31日木曜日

七ヶ浜町 松ケ浜小学校炊き出し支援 第2弾!

昨日の支援の写真続きアップいたします。
同じ七ヶ浜町内、夕方からヒロセは、松ケ浜小学校へ移動。前回炊き出しをしてくれた新潟県小千谷市から平澤さんはじめ精鋭3名による「ポトフ」の炊き出しのお手伝いいたしました。

小学生の男の子が「3杯食べた!はらいっぱい!」と言っていた笑顔が印象的でした。
新潟のみなさん、本当にありがとうございます!




七ヶ浜町 国際村避難所 床屋さんサービス

昨日の支援の写真アップいたします。
仙台のDue Shimazu の理容師、及川さんはじめ3名の方々から避難所での散髪サービスです。「さっぱりした」と、みなさんに大変喜んでいただきました!
この日は、3名で23名の方の散髪をこなしていただきました。
本日も、引き続き現地でサービスを行っていただきます。
及川さん、ありがとうございます!



2011年3月30日水曜日

七ヶ浜

今日は仙台から理容師のかた3名のご支援をうけて、七ヶ浜国際村へご案内しました。避難所で散髪サービスです。
夕方には、同じ町内の松ヶ浜小学校の避難所に新潟からの若者3名と約200名の避難所で暮らすみなさんに炊き出し支援。
どちらの皆さんにも大変喜んでいただきました。
信号がまだ消えたままの道を抜けて、先ほど仙台に戻りました。
写真は明日アップいたします。

2011年3月29日火曜日

連携

午後、宮城復興支援センターにお邪魔すると、彩の国市民活動サポートセンターの松尾センター長はじめ皆さんが、いらっしゃいました。埼玉と宮城のNPOが連携する現場です。埼玉からもとても沢山のご支援を頂いております。いろいろとお話をさせていただきました。日本人の底力を感じる一瞬でした。

市長からの手紙

米沢市長安部三十郎氏より手紙をいただきました。
震災の影響はあちこちに出ています。そんな中でも、安部市長がこどもたちに宛てた卒業祝辞の中身は、昨年のよねざわ市民ミュージカルの歌詞の一節に触れていただくなど未来へ向かう子どもたちに相応しい、希望に満ちた素敵な内容でありました。
わざわざ送っていただき、感激いたしました。


震災後の日々は、つらい気持ちになることもありますが、僕にとってみなさまに感謝する日々でもあります。

仙台市内、まだガソリン不足。

まだクルマの給油は大変な状況です。仙台市内でも3時間待ちは普通です。
中心部は都市ガスもまだです。写真は青葉区一番町1丁目付近。

2011年3月28日月曜日

支援物資

今日はボランティアはお休みして事務所で終日デスクワークです。
あっという間に月末です。自分の会社の仕事もやらなくてはなりません。僕が事務所を留守にする間、スタッフはほんとうによく会社を守ってくれています。
仙台市内は物流事情が少し改善したのでしょう。ようやく宅配便や、ゆうパックが届くようになりました。事務所にいると、東京から梶賀センセやヒロセ宛の「支援物資」が届きました。
友人の音楽家や演出家からです。中を開けてみると、心のこもった贈り物。非常時に役立つような贈り物がぎっしり詰まっていました。
「支援する側が元気じゃないとダメ」と、直接訪問して下さる方もいらっしゃいます。
みんなそれぞれ大変な時なのに…ありがたくて涙が出ます。
ガスがまだ来ていないので、身体を清潔にするためのものは助かります。

このブログをご覧頂いて、激励のメールも頂いております。全て目を通し、出来る限りご返事差し上げています。
がんばらないと。
今僕の周囲は未曾有の災害と呼ばれるものに襲われています。これからどうしようかという問題はどこを向いても山積です。
しかし
「問題は解決されるためにある」と信じ、解決されったがっている問題に向かいます。

2011年3月27日日曜日

あかねちゃん追悼レッスン

「すてきな友達」
梶賀千鶴子作詞・鈴木邦彦作曲

人はみんな 誰でも
一人では 生きていけないから
いつも すてきな友達と
この手をつなぐのさ
悲しいときも 仲間がいれば
つらくはない
苦しいときも 仲間がいれば
つらくはない

僕も君も ときには
暗闇に落ちて とまどうから
いつも すてきな友達と
ほほえみかわすのさ
愛と仲間 それさえあれば
つらくはない
愛と仲間 それさえあれば
つらくはない





震災後はじめてのレッスン。
また「こころふるわせる舞台」をつくるために、SCS稽古場は、新たな一歩を踏み出します。

2011年3月26日土曜日

南三陸町 歌津中学校炊き出し支援

群馬県桐生市ボランティア協議会のご厚意により、南三陸町にある歌津町学校へ炊き出し支援を行いました。 僕の仕事は道案内と現地での諸調整です。

桐生市のボランティア部隊をヘルプして仙台から某生命保険会社の役員自ら同行しトン汁づくりなど、人的支援もいただきました。

帰り際、外は0度近くまで気温が下がっているにもかかわらず、避難所から南三陸町の支所長はじめ、たくさんの方々が、桐生市のみなさんのお見送りに出てきてくださいました。
「トン汁、あったかくてうれしかった」という皆さんの言葉が印象的でした。

2011年3月25日金曜日

[NPO連携]GANBARO↑MIYAGI/宮城復興支援センター

NPO連携「宮城復興支援センター」へお邪魔しました。
本日NHKでも中継で紹介された場所です。
全国各地から続々と支援物資が集まってきています。ボランティアメンバーも各地から集まってきています。
現在ヒロセ純は、センター長の茂木秀樹君はじめここに居るメンバーとともに連日、被災地の支援活動を行っています。
今日ちょうど僕が到着したときには、みなさん寸暇を惜しんでの昼食時。交代でみんな3分ぐらいで食事を流し込み、支援物資の受け入れ、仕分け、発送に追われています。
みなさんからご提供いただいている支援物資は、確実に被災地へお届けしています。


このあと僕は、10トントラックへ乗せてもらって、七ヶ浜までお水と医薬品、野菜などの救援物資を届けてきました。
現地で会った小学生の女の子とちょっと話をしました。昨日届けたシャワー、すごく嬉しかったそうです。よかった。

次の瞬間、茜音ちゃんのことがふと頭をよぎりました。
「あかねちゃんはきっとてんしになったんだ」と思いました。

2011年3月24日木曜日

悲しい知らせ

今日僕が七ヶ浜でお風呂の設置を手伝っているとき、ポケットの携帯電話がなりました。
SCSの事務所からです。

「13時5分頃、東松島市教育委員会から電話がありました。(SCSキッズクラスのメンバー)阿部茜音(あべ・あかね)さんの死亡が確認されましたという内容でした。学校の担任の先生による確認だそうです。ご遺族による確認は連絡がつかずまだ済んでいません。ということです。」

自分の中で張り詰めているいくつかの糸の一本が切れる音がしました。
遺体発見場所は野蒜小学校体育館らしいのです。
そこは避難所でした。
でも、津波が来ました。
逃げ遅れたのでしょうか。お母さんとは一緒だったのかな。
怖かったろうなぁ。苦しかったろうなぁ。

夜、事務所に戻ると、スタッフが茜音ちゃんの遺影を飾っていました。
せめて、僕らだけでもちゃんと送ってあげないと。

9才3ヶ月、茜音ちゃん



梶賀センセのレッスンが楽しみで、ミュージカルが大好きで、ほんとは地震がなければ、次の日は仙台で初舞台を踏む日でした。

SCSのみんなは、茜音ちゃんを決して忘れないよ。
いつまでもだいすきだよ。

七ヶ浜国際村へ 簡易お風呂支援

今日で震災から2週間です。
ほとんどの被災者は、お風呂に入れて居ません。

福井のスーパーマン、石塚さんが、地元で素敵なシャワー付簡易バスを自作して運んできてくださいました。
昨夜の9時頃に福井を出て今日の昼には設置してくださいました。


七ヶ浜国際村のスタッフも総出で設置のお手伝い。


先ほど、七ヶ浜からの電話によると、避難所の皆さんはものすごく喜んでおられるとのこと。
しかし、まだまだ、お風呂どころか、飲み水も足りない避難所がたくさんあると聞きます。
早く、水を持っていってあげたいと、石塚さんはつぶやいていらっしゃいました。

2011年3月23日水曜日

七ヶ浜町 松ケ浜小学校炊き出し支援

新潟県小千谷市川口から、炊き出し支援の若者たちがやってきました。
七ヶ浜町にある松ケ浜小学校へご案内しました。
避難所は、壊滅的な被害を受けた菖蒲田浜のすぐ近くの小学校体育館です。


彼らも中越地震の被災者なんだそうです。新潟から心のこもった贈り物です。


被災者としての痛みのわかる彼らは、避難所で熱いメッセージを送ってくれました。
写真にお医者さんの姿が写っているのがお分かりでしょうか。
被災地では、医療の問題も深刻です。
ライフラインの遮断とともに、ガソリン不足で、通院できない方が沢山いらっしゃいます。


 炊き出しのトン汁に「おいしい」「ありがたい」と、涙ぐむ方も。



 一方、新潟からは、中越防災安全推進機構のご支援により支援物資の搬入もしました。
SCSスタッフのK君も搬入を手伝っています。

南三陸町 歌津

南三陸町報告の続きです。
南三陸町歌津への入り口。ここは鉄道が通っていたはず…

 歌津商店街の入り口。商店街を突き抜けて、山まで津波が来たことがわかります。

歌津の駅前。言葉が出ません。

 到着すると、すぐに給水と風呂の設置がはじまりました。

 僕らのクルマから避難所へ物資を搬入してくれたのは、かつて授業でミュージカルを教えた教え子たちです。

 小学校の校庭から見た歌津の町。歌津大橋はじめ、住宅は全て破壊されています。

ここまで、26時間!不眠不休でミッションをやりとげたお二人。石塚さん(左)と内山さん。スーパーマンに見えました。彼らは、被災者から差し出される食料や水は一切受け取らず、「自分たちの分は持っていますから、みなさんでどうぞ」と笑顔で接していました。自分たちの存在を決して誇示することなく、作業を終えると800キロ以上離れたふるさと福井県に帰っていきました。
無事に家に到着されたと電話を頂いた時には、涙がこぼれました。
カッコいい男たちです。
彼らのアクションは、僕たちに勇気や希望を与えてくれました。

南三陸町 志津川

一昨日の報告、続きです。
すぐにブログで報告出来なかったのは、現地の被害のすさまじさにノックダウンされていたからです。


南三陸町の防災センター。この隣には役場がありました。役場は跡形もありません。



小学校入り口の看板。子どもの声はありません。
昭和20年の写真ではありません。現実です。


僕たちは、跡形もなくなった志津川の町を抜け、歌津(旧歌津町へ)急ぎます。

宮城県大崎市 松山地区へ給水

一昨日、宮城復興支援センターの協力で宮城県大崎市松山地区へ給水に行ったときの写真です。
報道では、沿岸部が多く映りますが、宮城県内陸部も大変な状況です。


大崎市古川から鹿島台方面へ向かいます。
ところどころ道路がかなりダメージを受けています。


鹿島台から松山方面へ。
ガソリン待ちのクルマの列。道が狭いので歩道に並んでいます。
1キロ以上はあったと思います。

大崎市松山地区での給水風景。
団地にはようやく電気が来たそうですが、水はありません。
ぞくぞく、タンクやペットボトルを持参していらっしゃいます。
ご高齢の方が多いのが印象的でした。
水は、福井の名水。


大崎市水道部のご支援を得て、給水で残り少なくなったタンクをいっぱいにさせていただきました。
ここまで、ドライバーのお二人は20時間近く走り続け、眠っていません。
体調を案じて「休憩をとりましょう」と申し出ると、
「いえ、明るいうちに水を届けて、風呂を設置したい、一気に行きましょう!」
とのことで、一路、南三陸町へ。
見ず知らずの人のために…頭が下がります。
彼らは、阪神大震災のときに福井と神戸を3往復した経験があるそうです。

2011年3月22日火曜日

仙台はまだ余震があります。

今日も時折からだに感じる余震がありました。
そんな中、事務所で仕事を続けています。
今日のお客様は2組ほど。話題はやはり地震の話。また、梶賀センセからタマゴのプレゼント。2週間ぶりにタマゴが食べられます!ありがとうございます。
一方、スタッフによれば、SCSミュージカル研究所のメンバーは、今日おむすび400個握って七ヶ浜町に持って行ったそうです。みんなそれぞれ、出来ることを考えながらがんばっています。

僕もがんばらないと!
そんな訳で明日、自分の業務は一旦休んで、朝から七ヶ浜へ炊き出し支援に行きます。

2011年3月21日月曜日

南三陸町歌津地区 伊里前小学校

今日は朝6時に仙台を出て、宮城復興支援センターからの支援物資を積み込み、大崎市、南三陸町と回りました。
福井県からご支援いただいた(徹夜で走ってきてくださいました!石塚さん、内山さん、ありがとうございます!)10トントラック2台を先導し、南三陸町歌津地区に水14トンと避難所用のユニットお風呂届けてきました!
瓦礫の町に入った瞬間から言葉を失っていましたが、生き残った人たち、自分の家も失っているのに、着の身着のままで10日以上も町民のために働いている人たちを見ると、ただただ抱き合って「水持ってきたから」というのが精一杯でした。

このまちがまだ「歌津町」と呼ばれていた頃、小学生ミュージカルの指導で11年間通いました。
高台にあり、綺麗な歌津が海の見えた伊里前(いさとまえ)小学校の時計は、地震の時間で止まり、子どもたちの姿のない校庭で、ブランコに瓦礫がからまっていました。
今回の地震で人口の約半数にな亡くなったり、未だ行方不明の方々が出ている町です。

ヘリコプターの音だけが響いている世界です。
 

2011年3月20日日曜日

小学校3年生の女の子を探しています

東松島市野蒜(のびる)に住んでいた野蒜小学校3年生の阿部茜音(あべあかね)ちゃんを探しています。
SCSキッズクラスに所属しているかわいい女の子です。地震の翌日はミュージカルの初舞台に立つ予定でした。
茜音ちゃんのお母さんとも連絡がとれません。

付近の避難所の名簿を血眼で探していますが見当たりません。

どなたか情報お持ちではないでしょうか?

元気でいてくれることを信じています。
もし、情報お持ちの方いらっしゃいましたら下記までおしらせください。
地震後10日経った今日救助された方もいらっしゃいます。
あきらめずに探し続けます。

SCSミュージカル研究所
廣瀬純

連絡先
〒980−0811
仙台市青葉区一番町1丁目4−30
さのやビル3F
有限会社 純クリエイション
代表取締役 廣瀬純
tel: 022-224-7051 fax: 022-213-6789
E-mail: juncreation@nifty.com

情報収集

今日は終日、南三陸町の情報収集です。
報道で皆様もご存知の通り、南三陸町は町がなくなる壊滅的な被害が出た場所です。
七ヶ浜と並んで個人的にずっと気になっている場所です。
特に11年間小学生ミュージカルの指導で通った歌津地区になんとか支援できないものかと、あちこち連絡を取りました。
山形の庄内町は南三陸町と姉妹町ということで、連日トラックによる支援物資を運んでいただいてます。庄内町(旧余目町)とSCSは、ミュージカルでご縁があります。
庄内町や現地の対策本部とようやく連絡が取れ、いくつか状況が判明しました。

仙台にある災害支援のNPOと連携し、明日南三陸町に入る予定です。

2011年3月19日土曜日

避難所では

友人のYさんのはからいで、仙台で下着や飲み物、お菓子など救援物資を手に入れることができました。先週に引き続き、自家用車に積めるだけの救援物資を積んで七ヶ浜国際村へ。

七ヶ浜国際村の避難所では、現時点で308名の方々が避難されています。
下着が不足しているということでしたので、少しはお役に立てたかもしれません。
津波で家を流された方々にとっては、まず、着替えが必要です。
ここでは、電気はようやく通りましたが、水道やガス、電話はまだです。
auやdocomoの電話は、かろうじて通じるようになってきたようです。
甚大な被害を受けている町は、今後、避難が長期化するにつれて、上下水道の問題が深刻になってくるはずです。
こうした避難生活は、特にお年寄りや子どもには、かなりつらい状況ということを実感します。お風呂にも入れてあげたいし。(ま、僕も入れてないけど。仙台はまだ都市ガスがきてません)

事務室では、事務局長が中心となって、真剣なミーティングが開かれていました。
僕も、あくまで自分が出来る範囲ですが、協力を申し出ました。


ガソリンが手に入りにくいので、通れそうな道をなるべく最短距離で、エコ運転です。

途中、産業道路の三井アウトレットモールあたりはこんな感じでした。




まだ余震が続いています。

昨日14:46分は、事務所に居た者全員で黙祷を捧げました。
JUN_harvestのギター、サイトウミノルも居合わせたので一緒に黙祷。
黙祷しながら、泣きそうになりました。

時間の経過とともに、様々な被害の実態が明らかになってきています。

山形県庄内町の友人から、南三陸町への支援の状況をお聞きしました。
南三陸町歌津(旧歌津町)は、SCSのメンバーが11年間小学生に授業の中でミュージカルを指導してきた場所です。
暖かいご支援に心から感謝申し上げます。



2011年3月18日金曜日

あの日から一週間。

まだ一週間なのか、もう一週間なのか、時間の流れがよくわかりません。
はっきり言えるのは、時間とともに被害の様子が、
そのひどさが明らかになってきているということです。

本日、友人から事務所あてに救援物資が届きました。
ありがたさに涙が出ます。

しかしまだ、瓦礫の下で救助を待っている人が居るかもしれません。
行方不明の方が宮城県だけでもまだ1万人以上いらっしゃいます。

ひとりでも多くの方のいのちが助かりますように。
愛する家族や恋人、友人たちとの再会ができますように。

亡くなった方々もたくさんいらっしゃいます。
もうすぐ、14時46分。

黙祷。

2011年3月17日木曜日

【地震】08 仙台は雪です。みんな生きていてくれ!

大地震から1週間が経ちました。仙台の事務所ではまだ余震を感じています。
さらに、珍しく仙台でも積雪です。

沿岸部の被災地はもっと冷え込んでいるはずです。
一人でも多くの方のいのちが救われますように。
大好きな人たちのところに飛んでいきたいのに、
燃料が手に入りません。
僕のクルマも被災したタワーパーキングから出せません。

なぜか、歌津や志津川のみんなの笑顔ばかりが浮かんできます。 
みんな、みんな生きていてくれ!
茜音ちゃん、どこかの避難所にきっといるよね!

ああ、祈るような時間が過ぎていきます。